ちぇるWiki(Greeting~野中美希~)

モーニング娘。'22の野中美希さんを応援するブログ

苦労人が語るプラチナ期の幕開け@新垣里沙

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2007年6月2日から1581日。
これは新垣里沙モーニング娘。でサブリーダーを務めた日数になる。 

 在籍が3918日だから、約半分の期間をサブリーダーとして務めたことになりますね。
愛ちゃんと二人三脚でグループを引っ張ってきた期間。
数々の試練を乗り越えてこれたのも二人の信頼関係の賜物。
リーダーとしての在籍期間は短かったけど、先輩から受け継いできたものを今に伝えていった功績は計り知れないものだと思います。

 

ずっと憧れていた『モーニング娘。』に入ることができて、ご一緒できた先輩たちの中では最後になった吉澤ひとみさんが卒業された時、“これからは私たちが先輩たちの教えを受け継がなければいけない”という責任感が生まれました。
でも、愛ちゃんは優しいから、後輩に厳しいことを言えないんですよ。
リーダーの言葉の方が説得力を持つと訴えても、「ガキさんが言って……」とお願いされてしまう。 

9期が加入した初めてのツアーのレッスンを思い出しました。

ついていけない9期に対し、厳しく叱咤をするガキさんと光井さん。

笑顔で見守る愛ちゃん。

組織論のひとつとして「嫌われ者に徹する者がいると組織はうまく機能する」というのがあります。

これは、実体験でもあるのですが、15人ほどで行ってたプロジェクトで、リーダーと同年代の人が途中から加入してきました。

一番下の年代だった自分からすると、10歳ぐらい年上の先輩です。

その人は、小姑のように細かく煩い存在でした。

メンバーは、影で彼の悪口を言い始め、彼を除いた飲み会を開催するなど、表面的な付き合いしかしないようになりました。

そして、「彼憎し」で団結し、メンバー間の結束力はどんどん強固なものになっていきました。

結果的にプロジェクトは大成功。

後で彼から聞いたのですが、メンバーを団結させるために「あえて憎まれ役を演じた」とのことでした。

まぁ、普段からそうなので「素」だとは思いますが(笑)
今では、当時の憎しみもなくなり、定期的に飲みにいく仲になりました。

 

誰だって、憎まれ役はやりたくない。

嫌われたくはないもんね。

愛ちゃんは優しいリーダーだから、ガキさんと光井さんがグループのために憎まれ役を担った。

当時は、ツッコミと小姑キャラだったもんね。

リーダーとサブリーダーで上手くパワーバランスが働いたことによって、プラチナ期と称されるパフォーマンスの礎を築くことが出来たんじゃないかと思います。

 

同期から頼られ、吉澤からはしっかり者と太鼓判を押されるなど、いまやモーニング娘。でも1、2を争う苦労人として知られる彼女。
その由縁は、ファンとして憧れていたモーニング娘。のオーディションに合格し、2001年夏に5期新メンバーとしてグループに加入した頃にさかのぼる。


「当初は楽しい、うれしいと感じられることなど本当に一瞬で、つらいことがほとんどでした」


新垣の加入に手心が加えられたのではないかという誤解を端に、一部ファンの間でネガティブな疑惑がまことしやかに取り沙汰されたのだ。
(中略)
ネット上では彼女へのバッシングが頻発。
ステージでも、時に心無いヤジが飛び、ブーイングが沸き起こるほどの状況が長く続いたのだ。
この時、新垣はまだ12歳だった。

モーニング娘。で一番最初にファンになったのが市井紗耶香

紗耶香が卒業してからも、惰性でライブに参戦し続けてました。

そんな中、5期が加入。

その時点では、特に興味はなかったのですが、ライブでのブーイングを受けながらも健気に頑張ってるガキさんを見て応援しようと決意しました。

当時は酷い状況でした。

ゴミ箱に捨てられた写真やトレカ。

火をつけて燃やす人もいたほどでした。

ライブでガキさんが挨拶しているときに背中を向ける人も多数いました。

 

彼女が悩み苦しんでいたのは十分伝わってきました。

ファンに対しても心を閉ざしていたのを感じました。

当時は、胸の部分に「豆」とプリントしたTシャツを作って着て、「豆」「新垣」と書いたボード(スケッチブック)を持ってコンサートにいってました。

「応援しているファンもいるから頑張れ!」

「バッシングなんかに負けるな!」

最初のうちは、見てくれても何の反応もなかったんですが、徐々に頷いてくれるようになり、反応してくれるようになりました。

笑顔もぎこちなかったけど、少しずつ自然な笑顔が出てくるようになり、安堵したのを今でも覚えています。

 

当時、とある私設応援団の幹部をやっていました。

20人以上仲間がいて、ガキさんに批判的な人も何人かいました。

みんなでメンバーの名前や文字が入ったデザインのTシャツを作ってたのですが、ある日突然「新垣里沙」「豆」と書かれたTシャツを着てガキさんのファンになったと宣言しました。

ビックリしてたけど、理由を話し活動していくうちに批判的な声は出なくなりました。

まわりのファンからも変わり者のような目で見られました。

ブーイングに負けないように、少しでも声援が届くように、大声を出し続けました。

そして、「豆wiki」というブログを立ち上げ、ガキさんの魅力を発信することにしました。

ちなみに、、、「豆」とは「ガキさん」と呼ばれる前のニックネーム「まめ」「おまめちゃん」からつけました。

徐々にアクセス数も増え、ブログを通じてガキさんを応援する多くの仲間と出会い、オフ会をするまでになりました。

毎年、みんなで協力して、誕生日には専用のホームページを立ち上げ「誕生日メッセージ」を募集し、印刷してライブ会場に持参しスタッフに渡しました。

ガキさん、ファンの仲間とすごく充実した時を過ごす事ができました。

今でも最高の思い出です。

 

ある時、受け入れられていないことが明らかに分かるライブを両親が観に来てしまう機会があって、終わった後に2人と話して“もう辞めよう”と決めたこともありました。
でも、スタッフの方々と話をしてもう一度考えた時に、そんな状況でも私のことを応援してくれる人がいることに改めて気づいたんです。
本当に少なかったけど、こんな私を応援してくれる人がいるんだって。 

当時、心の支えの一助となれたことは、本当によかったと思います。

メンバーへのアンケートで、「モーニング娘。になって辛かったこと」の欄がありました。
ガキさんの回答欄だけ「空白」でした。

辛くなかったことがないわけなんてないのに、、、

でも、こういう部分もガキさんらしいと思う。

絶対に弱いところを見せない。

「頑張らなくていいんだよ。辛いときは辛いって言っていいんだよ」

(古いファンには聞いたことがあるフレーズですね。。。)

そう想いながら応援し続けてきました。

ガキさんは笑顔で私たちを勇気づけてくれました。

 

モーニング娘。を卒業する最後のシングル。

uepon-2121.hatenablog.com

この曲のPVの最後。

ガキさんが「モーニング娘。大好き」と言ってます。

この言葉を聞いて、彼女を応援し続けてきて良かったと心の底から感じました。

モーニング娘。が大好きで加入したガキさん

辛いこともたくさんあったけど、ずっと大好きでいてくれて良かった。

 

先輩方が徐々に卒業していく中で、メディアにもあまり出られなくなっていく。
私たちの主戦場がライブのステージに変わったんです。ライブを見るにはお金がかかりますよね? 
つまり、本気で好きになってもらえないと来てもらえない。
そのためには、本当に良いパフォーマンスを見せなければいけない、ずば抜けて格好良いグループにしなければならないと思って、もっとスキルを磨くことに力を入れました。 

お金を払って来てもらえるだけのクオリティを出さなければならない。

ここが今のモーニング娘。へと繋がっていくターニングポイントだったんですね。

どうすれば、何度もライブに足を運んでもらえるか?

昼と夜でセットリストを変えたり、最近だと、会場ごとに歌う曲を変えたり、、、と。

夜は愛ちゃん、昼はガキさんが「ふるさと」をソロで歌ったこともあったなぁ~

DVD収録のときは愛ちゃんが歌って、凹んでいたら特典映像で収録されてて嬉しかった思い出もあります。

 

こんなに長い間、新メンバーが加入しなかったのは20年の歴史の中で他に無いことですし、毎年1歳ずつ年を取っていくので、大人ばかりにもなりますよね(笑)。
でも、メンバーが固定されていたからこそ、とても濃い時間を共有することができましたし、良い時間になったと思います。
今思い返しても、私たちにとって本当に大切な時期でした。 

確かに。

会社でもそうですが、育成というものは時間と根気が必要なもの。

メンバーが加入しなかったことにより、育成にかける時間がなくなり、パフォーマンスに磨きをかけることができた。

この濃密な時間があったからこそ今の圧倒的なパフォーマンスの礎が出来たということ。

そういう意味では、完成された先輩の中に加わっていった9期、10期の苦労は想像を絶するものがありますね。。。

 

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